歴史
ふつう
札幌時計台の建物がもともと使われていた目的として正しいものはどれでしょう?
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解説
札幌時計台は、開拓使工業局主席建築技術者の安達喜幸の設計監督により1878年に完成した建物で、当初の名称は演武場といいます。クラーク博士の提言を受けて、札幌農学校の生徒が兵式訓練や入学式、卒業式を行う中央講堂として建てられたもので、1階は研究室や講義室、博物標本室、2階が兵式訓練と儀式に使う演武場でした。北海道庁本庁舎は道庁の行政庁舎として別に建てられた建物で演武場とは無関係、札幌農学校本館は学校の主要な校舎を指す呼び名で、演武場はそれとは別の兵式訓練・儀式専用の施設です。屯田兵の兵舎も演武場とは違い、演武場での兵式訓練は有事の際に農学校生徒が屯田兵の指揮官となることを見据えたものであって、生徒が寝泊まりする兵舎ではありませんでした。完成当初の演武場には時計塔はなく屋根に小さな鐘楼があるだけでしたが、開拓使長官黒田清隆の指示で1881年にアメリカから取り寄せた時計機械が据え付けられ、今の時計台の姿になりました。
出典: 札幌市時計台:時計台のあゆみ
情報確認日: 2026年7月26日