歴史
かんたん
明治時代の文明開化を象徴する鹿鳴館が主に使われた目的として最も近いものはどれでしょう?
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解説
鹿鳴館は明治16年(1883年)、政府によって現在の千代田区内幸町にあたる内山下町に建てられ、外国貴賓や政府高官が集まり、舞踏会や演奏会で賑わう社交施設として使われました。不平等条約の改正交渉を有利に進めるため、日本が欧米と並ぶ文明国であることを示す舞台として建てられたもので、外国要人をもてなす目的にまさに合致します。娯楽を提供する庶民向け映画館とは性格がまったく異なり、そもそも活動写真自体が日本に伝わるのは鹿鳴館の開館から10年以上あとのことで、明治16年の時点では映画館という用途は成立しません。軍艦の造船所は軍備を担う施設であり、煉瓦造り二階建ての洋館である鹿鳴館とは規模も所管も違いますし、鹿鳴館は西洋式の礼儀作法や社交術を身につけさせる場として機能したもので、精神修養を目的とする仏教修行道場とも正反対の性格です。明治27年(1894年)には役目を終えて華族会館に払い下げられました。
情報確認日: 2026年7月31日