歴史
ふつう
英国史で知られるマグナ・カルタが1215年に合意された場所はどこでしょうか?
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解説
マグナ・カルタは1215年6月15日、ラニーミードの野でイングランド王ジョンが反乱を起こした40人の貴族の要求に応じて印章を押した文書です。誤答のアジャンクールは1415年に百年戦争でイングランド軍がフランス軍を破った戦場、ウォータールーは1815年にナポレオンが敗れた戦場で、いずれもマグナ・カルタより後の時代の軍事的な出来事の舞台であり、貴族と王が合意した場所ではありません。カンタベリーはイングランド国教会の中心地で大主教座が置かれた都市であり、貴族と王の政治的対立が決着した場所でもありません。マグナ・カルタは合意からわずか10週間後に教皇インノケンティウス3世によって無効とされ内乱に至りましたが、ジョン王の死後も繰り返し再発布され、そのうち1297年版はエドワード1世の勅許状として正式な制定法簿に組み込まれています。米国独立時にも植民地の人々が自らの権利の根拠として引用し、憲法修正第5条の適正手続き条項はマグナ・カルタの国の法による保障に直接由来しています。
情報確認日: 2026年7月25日