歴史
ふつう
江戸時代の町火消で、地域ごとに編成された組の通称として有名なのは何でしょうか?
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解説
江戸の町火消は享保三年(1718)に町奉行大岡越前守忠相がつくり、まず「いろは組」として四十七組に組み分けたのち、享保十五年(1730)に編成をあらためて「いろは四十八組」としました。隅田川の西側では「へ」「ら」「ひ」「ん」の四文字が語呂の悪さを理由に外され、代わりに「百」「千」「万」「本」の四組が加えられて四十八組になっています。誤答の「かるた三十六組」はいろはかるたを連想させる語ですが、町火消の組数は三十六ではなく四十八であり、そうした呼び名は記録にありません。「あいうえ二十四組」はいろはではなくあいうえお順を使う点がそもそも違い、「甲乙百組」は「百」こそいろは四十八組に含まれる置き換え文字の一つですが、甲乙丙丁のような十干式の呼び名で百組を編成した事実はありません。町火消は隅田川東側の本所・深川にも別途十六組が置かれ、後年には江戸城二之丸の火災にも出動して定火消や大名火消に劣らぬ働きを見せるなど、江戸の都市防災を町人が担った制度として今日の消防団にまで名残をとどめています。
出典: 東京消防庁 - へらひん組がなかった「いろは四十八組」
情報確認日: 2026年7月26日