江戸時代の参勤交代で、多くの大名に課された江戸在府と国元往復の基本的な周期として最も近いのはどれ?
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解説
寛永12年(1635)に3代将軍徳川家光が武家諸法度で「大名小名在江戸交代相定むる所也 毎歳四月中参勤致すべし」と定め、江戸在府と国元在国を1年ごとに入れ替える仕組みを制度化しました。この形は元和4年(1618)ごろから外様大名を中心に定着していたもので、それ以前の元和年間には半年在府・半年在国というサイクルも見られましたが、元和4年以降は1年交代が基本の周期になったため半年ごとは初期にだけ見られた慣行にすぎません。3か月ごとに相当する周期は確認されておらず、大名行列の準備や江戸までの長い道中を考えても現実的ではありません。3年ごとも基本周期とは異なり、8代将軍徳川吉宗による享保7年(1722)の緩和策でさえ在府半年・在国1年半にとどまっており、在国3年という長さが定着したのは幕末の一時的な緩和にすぎませんでした。参勤交代では大名の妻子を人質として江戸に常住させる仕組みも組み合わされており、1年ごとの往復という周期そのものが大名統制の手段として機能した点に、この制度ならではの特徴があります。
出典: 江戸に「参り」将軍に拝謁することが大名の「勤め」=戦のない時代の服属の意思表示(nippon.com)
情報確認日: 2026年7月27日